神戸に引っ越した

娘の病名は『統合失調症』だった。
前夫が、私にショックを与えないようにと教えなかったそうだ。


7月6日に、娘が意識不明で救急車で運ばれたと電話があった。
意識を取り戻した後も、幻覚や幻聴があるらしく、奇行が続いている。
大変危険なので、24時間体制での監視が必要だと、主治医が行った。
入院を勧められたが、娘が激しく抵抗した。
前夫の母親を、娘は嫌っている。世話は頼めない。


迷って悩んだあげく、8月末に神戸に引っ越した。
愛する彼との、心臓をえぐられるような胸の痛みを感じた別れ。
彼のご両親は、私にとって『ほんとうのお父さんとお母さん』と思える人たちだ。
彼とご両親は、名医と名高い主治医でも薬でも治せなかった私の病気を、
ほぼ完治の状態にまで元気にして下さった。
誰にもできなかったことだ・・・私自身にも。
並大抵の大変さじゃなかったと思う。
一緒に暮らして面倒をみてくれた彼は、何度も心を壊しかけた。
それでも、私を見捨てなかった。
病気になって初めて
「生きていたい」「シアワセになりたい」と望んだ。
自殺未遂は完全に無くなった。


彼とは、永遠の別れではない。
引っ越すことが決まるまで、何度も話し合ってケンカしたけど・・・。
新幹線の扉が閉まる寸前に、彼は
「待っててあげるから」と言ってくれた。
私は、とても自分勝手だけど、
「娘の病気が治るまで頑張ってくるから、待ってて」と言い続けてた。
彼は、応えてはくれなかった。当然だろう。
娘の病気は『完治はしない』と言われているし、先のことなんか何もわかんないんだから、約束できない。
彼はそういう人だ。口先だけの約束などしない、誠実で正直な人だ。
だからこそ、私は、その一言で今を生きていられる。


正直言って、かなり辛い。疲れる。私の病気は悪化した。
ほとんど無くなっていた薬は、また大量に増えた。
以前にはなかった症状が現れた。
夜中に発作を起こして、叫ぶ、硬直する。
二重人格になって怒鳴り散らす・・・私とは別人の声や言葉遣いらしい。
記憶喪失に陥る・・・新幹線に飛び込もうとして警察に連れて行かれたが、名前も住所もわからなかったらしい。
これらの症状が出た時の記憶はない。
主治医に
「次にこんな事があれば、入院してもらうから」
と言われているが、私が入院するわけにはいかない。
だから、もう何も話していない。
最近は、また幻覚や幻聴もある。


娘の方は、私が帰ってしばらくすると、べたべた甘えてくるようになった。
抱きついてきたり、手を繋いだり、常にくっついてまわったり。
小さな子どもに戻ってしまったようだ。
甘えたくても我慢してた分を取り返そうとしてるようにも見える。
でも、病気のせいで精神状態が不安定なために、些細なことで急にキレる。
私は、娘のご機嫌を伺って、気を遣って、腫れ物に触れるように接してきたが、
ついに、昨日ケンカした。娘に
「一生話しかけんな!!死ね!!ボケ!!」
と言われて、ずっと無視されている。


東京での穏やかでシアワセな生活に戻りたい。
私は、とても元気だった。